サヨナラの本当の意味 ~あなたと呼ばれて~ ネット小説【鳥籠の中の私】
時間とは、不思議はものだと思う。
決して戻ることはない。
けれど、思い出すことはできる。
しかし、想い出を創っていくこともできるのだから。
二人はただただ黙ってチャイラテを口にするだけだった。
[このお店、まだあって良かった。嬉しかった。」
はじめの一言を切り出したのは蓮司だった。
[何も変わってないね。」
そういうと京香の顔を見て笑った。
京香はこの時初めて蓮司の顔を見た。
(少し痩せたな)
そう思った。
[このチャイの味も変わってないよ。」
そう言うとチャイを口にする。
[初めて飲んだけど、甘いね。京香が好きそうだ。」
蓮司もチャイを口にする。
(いつもはコーヒーしか飲まない。甘いといってもカフェオレくらいなのに。)
[仕事、忙しいの?」
[そうだね、今日やっと休み取った。」
蓮司は煙草に火をつける。
「京香は仕事、どうしてるの?」
さりげなく仕事のことを聞いた。
蓮司は京香がいなくなってから、京香の職場に連絡を入れていた。
何か分かるかもしれないと思ったから・・。
けれど、何も言わず、退職届を出していた。
「仕事はしてる。」
京香はそれだけしか答えなかった。
どこに勤めているとかどんな仕事をしているだとかいうことは言わなかった。
そこが分かれば、だいたいどこに住んでいるのか分かったのかもしれない。
「そうか。」
少し泣きそうになる顔をぐっとこらえる。
京香は何も聞かなかった。
「そろそろ行くね。このお店あって良かった。来たかったから。」
そういうと席を立とうとした。
「ねえ!」
蓮司は思わず引き留めた。
「なに?」
その表情の向こう側に君は何を見てる?
(どこかでもっと話さない?)
そう声をかけたい。
彼女のことを知りたい。分かりたい。知ってほしい。
「いや、なんでもない。」
蓮司はうつむいた。
「今日、ここに来て良かった。」
蓮司は顔を上げた。
「会えて良かった。顔を見れて良かった。」
君は俺を見てる。
「最後にあなたにさよならがきちんと言えるから。」
京香は笑顔で蓮司に話す。
俺のことを【蓮司】と呼ばない。
呼んだのは、さっき俺を見つけた時だ。
話し始めてから、名前を呼んでくれていないことに気づく。
俺は【京香】と呼ぶ。
君は【あなた】と呼ぶ。
さよならの意味なんて分かってる。
けれど、名前で呼んでほしい。
蓮司の目から泪が溢れる。
「行かないで。」
「どこにも行かない。
ただ、もうあなたと【ふたり】じゃないこと。」
【ふたりで生きていくって決めたでしょ?】
その言葉がどれだけ俺たちを強くさせてきたことだろう。
ああ、京香は【ひとり】で生きていくんだな。
「【夫婦】の意味はなくなったって思う。
【ふたり】の意味も。」
京香の声はとても静かで落ち着いていた。
「【夫婦】も【ふたり】も同じ想いや方向を目指していないと
努力していないと難しいと思う。
ひとりの努力だけでは決して成立しないと私は思うの。」
こんなに自分の言葉で伝えている京香は初めてかもしれない。
「【生活】は成り立っても【夫婦】は成り立たないし
求めあうこともなくなる。期待や希望もなくなる。」
ただ、京香の言葉を聞いていた。目を閉じて。
「わたしは、【わたしたち】に【失望】したくないの。」
蓮司は京香の顔を見上げた。
「いつかこの言葉があなたに届くことを願ってる。」
そう言うと、カバンを持って後ろを振り向き、歩き始めた。
ほのかに京香の香りだけが残る。
どこにも行かない。
【ふたり】じゃない。
【あなた】と呼ばれること。
京香の言葉たちがココロに切り刻まれていく。
(またね、なんて言えるわけないよな)
京香のあの力強い目と美しい瞳にはゆるぎないものがあったのだから。
いつか俺はまた会いたいよ、京香。
蓮司はココロからそう思った。